2012年10月31日水曜日

富士山への道

 2年連続で、それも、かなり苦労して富士山頂に登った事は、私にとって大きな自信と経験を残しました。

 高3の2学期が、始まってしばらくした時、担任の山田先生から、全校マラソンが1月に行われると言う事を聞きました。

 男子は20Km、女子は10km、場所は沼津市の千本浜海岸との事でした。

 高1と高2の時は、学校の周辺は車が多いため、校内マラソンはやっていませんでしたので、その話を聞いたとき、驚いたのと同時に1番を狙ってみたいと思いました。

 山田先生にも、クラスで持久走が、1番速いのだから、芹澤、優勝目指してがんばってみろ、記念に、大きなメダルがもらえるぞとハッパをかけられました。

 続く

2012年10月23日火曜日

富士山への道

 それは、突然の雨と風でした、雨ガッパを着ているのに、とにかく寒い、両手はかじかんでくるし、体は震えてくるしで、天に向かって「こんちくしょう」って叫びたくなりました。

 やっとの思いで、山頂に着いたのですが、あまりの寒さで用をたしたくなり、山頂のトイレに駆け込みました、用をたしたら、体がガタガタ震えてきて、なかなか外に出れないのです。

 もう測候所に、行くのは、諦めて下山しようと思う弱い自分と、いやもう少し我慢して測候所に行き山頂印を押して、登った証拠を残そうと思う強い自分の心の闘いがしばらく続いた後、意を決して、測候所目指して、思いっきり走りました。

 なんとか、測候所に辿り着き職員さんに中に入れてもらった時は、本当に助かったと思いました。

 ところが、去年と同じように暖かいお茶とお菓子をご馳走になったのですが、体の震えが、なかなか治まらなかったのです。

 これは、早く下山しないと、命が危ないと思い、職員さんにお礼を言って、慌てて下山しました。

 五合目に着くと雨は降っていませんでした、富士山では、よく山頂付近だけ天気が悪い事があります、まさにそんな日でした。

 

2012年10月20日土曜日

富士山への道

 16歳で、初めて富士山登頂を果たしたことは、本当に大きな自信になりました。

 そして、翌年の夏にまた、富士登山に挑戦しました、新聞配達を朝と晩していた為、登る日は、夕刊が休みの日曜日に限られていました。

 親父さんに五合目まで、車に乗せて行ってもらうのですが、夏の高校野球を見るのが大好きな親父さんが動き始めるのは、昼過ぎなので、やはり五合目に着くと2時半位になります。

 去年、山頂付近で、急激な寒さを感じたのを、覚えていましたので、またランシャツ、ランパンで登り始めたのですが、リュックの中に五合目で買ったビニールのカッパを入れて行きました。

 案の定、八合目を過ぎた辺りから、体温の低下を感じてきたので、早々とカッパを着て、登り続けました。

 すると、また新たな試練がやってきたのです。

 続く



 

2012年10月19日金曜日

富士山への道

 次の試練、それは寒さでした、富士山をなめきっていた私は、ランシャツ、ランパン姿で登っていました。

 山頂に近づくにつれて、100m標高が上がると気温は0.6度下がると云われています、体力がおちてきて、体から発する熱も下がっていたと思います。

 そのため、9合目から頂上まで、体が震えるほど、寒かった、やっとの思いで、山頂に着いたとき、少しほっとしましたが、そこから、測候所までの上りが、本当に長く感じました。

 死ぬ思いで、測候所に着くと、ガタガタ体が震えている私を見た職員の方が、暖かいお茶と、お菓子をくれました。

 体が、暖まり少し体力が回復してきました、しっかり、日の丸の旗に3776mの測候所印を、頂き、お礼を言ってから、一目散に五合目を目指して走って行きました。

 測候所を、出てしばらくは、やはり寒かったのですが、下って行くうちに、気温が上がってくるので何とか五合目に辿り着きました。

 五合目に着いた時には、もう薄暗かったです、登り始めた時間が午後2時半位だからしょうがないです、親父を見つけて、日の丸の山頂印を見せたたら、一言「おせぇじゃねぇか」

 続く



2012年10月18日木曜日

富士山への道

 五合目を出発して、僅かな食料と水を持って、途中の山小屋にも、ほとんど寄らずに六合目、七合目、八合目と登って行きました。

 山頂まで、必ず登り、剣が峰にある富士山測候所で、金剛杖に付いている日の丸の旗に、印をもらい、それが、山頂まで登った証拠として、親父や高校のクラスメートに見せるのだ。

 自信は、あった、その支えは、中学2年から続けてきた新聞配達で鍛えた体力と気力だった。

 しかし、富士山はそんなに甘くはなかった、八合目を過ぎた辺りから、両手がむくんできたり、息苦しくなってきたりし始めました、軽い高山病です。

 みるみる登るペースが落ちたのが、自分でもわかりました、しかし体力はなくなってきたけど、気力だけは、まだまだ十分あった。

 山頂に近づくと、次の試練がやってきた。

 続く

2012年10月17日水曜日

富士山への道

 1978年の夏、富士山、富士宮口登山道を、金剛杖を片手に持ち、必死の形相で登っていく、高2の私がいます、五合目には、親父が、私の戻ってくるのを待っています、「早く登って来ないと、車で、先に帰るからな、」

 冗談を余り言わない親父でしたから、その一言を聞いた私は、山頂目指して、もうスピードで走って行きました。

 途中、ゆっくり登山道を登って行く登山客を、何人追い抜いただろうか、稀に抜かれた登山客が私に向けて、「富士登山マラソンの練習か?」と声をかけてきました。

 富士登山マラソン?何のことだ、それより早く登って降りて来ないと、あの親父がいつ、私をおいて、家に帰ってしまうかも知れない、だから必死の形相なんです。

 続く

2012年10月10日水曜日

ヒグラシ

 こんばんは、芹澤です、

 今日、仕事で、防府市の小野地区に行ったとき、午後6時前位に小高い山の林から、ヒグラシの鳴く声が聞こえてきて、少し驚きました。

 鳴き声も、心なしか弱弱しく感じました、季節はずれに、羽化した彼は、果たしてメスに巡り合う事ができるのか、ちょっと心配しました。

 がんばれ、ヒグラシ

 続く

 

2012年10月9日火曜日

赤富士

 こんにちは、芹澤です

 今日は、赤富士について書こうと思います。

 赤富士と言えば、葛飾北斎の描いた絵が有名ですが、初めてあの絵を見た時、富士山が、こんなに赤くなるわけないと、思っていました。

 しかし、ある時、富士山を専門に撮影しているプロやアマチュアのカメラマンの写真を見た時、本当に、真っ赤な富士山が写っていて、びっくりしたのを覚えています。

 それから、私が自ら赤富士をカメラに収めようと、静岡県裾野市の実家に帰った時、何回か、挑戦しているのですが、なかなか満足のいくものは、まだ撮れていません。

 続く

2012年10月3日水曜日

オリンピック男子マラソン

 こんばんは、芹澤です、

 今日は、オリンピックの男子マラソンについて私の考えを、語ります。

 この夏、ロンドン五輪がありましたが、今回も男子のマラソン金メダルは日本は取れませんでした、やはり、アフリカの選手が強かった、スピードが、全く違っていました、日本選手は、中本選手が粘って、最初とばしていて落ちて来た選手を抜いていって6位に入りましたが、金メダルには、ほど遠かった。

 金メダルのウガンダの選手は、何度かトップから遅れたが、粘ってついにケニアの二人の選手を抜いて、栄冠を勝ち取りました、彼はケニアの選手と一緒に練習を積んでいたと、テレビを見ていたら、アナウンサーが言っていたのを聴いて、これだと思った。

 ウガンダの選手は今年の東京マラソンで藤原新選手に最後競り負けて3位になっています、それから彼はオリンピックに照準を合わせてケニアに武者修行に行ったのです、ケニアには世界最強の選手がいるからです。

 もし、日本の選手が世界最強のケニア選手と一緒に練習し、彼らのハングリー精神まで、身につけたなら、必ず、金メダルが取れると思います。

 続く



2012年10月2日火曜日

富士山の絵画

 こんばんは、芹澤です、

 私は、富士山が大好きなので、富士山の絵画についても、見るのが好きです。

 例えば、横山大観の描いた富士山や葛飾北斎の描いた富士山は、凄く心惹かれるものがあります。

 本物の富士山とは、明らかに違うんだけど、でもやっぱり富士山なんですよね。

 続く

2012年10月1日月曜日

富士山登山道

 こんばんは、芹澤です

 さて、今日は富士山の登山道について、語ろうと思います。

 静岡県側には富士宮口登山道、御殿場口登山道、須走口登山道があり、山梨県側には富士吉田口登山道、河口湖口登山道があります。

  私は、全ての登山道から、山頂まで登りましたが、一番好きな登山道は?

 富士吉田口登山道です、特に好きな部分が馬返しから、三合目辺りまでです。

 ここを、登っていると、かなり大きな木が登山道の左右にあるため、鳥がたくさん住んでいて、その、鳥たちの、さえずりを聴くと登りの苦しさを忘れて、何とも幸せな気分になるからです。

 続く