1986年、この年は寅年で私は3月で24歳の年男でした、いつもの年と違う、何かとてつもなくよい年になる、そんな予感を感じていました。
私の頭の中には、常に富士登山競走のことがありました。
どうすれば、この大会で1位がとれるのかを真剣に考えていました、そしてたどり着いた答えが、まず第一に、長年苦しんできた貧血を治すこと、第二に最低でも10kmロードレースで32~33分の走力を身に付けることでした。
この目標を達成するため貧血を治しながら、必死に練習しました、その結果、4月に行われた地元開催の裾野高原マラソンの10kmで33分57秒で4位になり、少し自信になりました、なぜならこのコースは標高が高くアップダウンがかなりあるからです。
続く
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