2013年6月29日土曜日

富士山への道

 その後、参加要項を読み進めていくと、この大会には、山頂コースの富士吉田市役所をスタートして、富士山頂ゴールの21km(当時は19kmになってた記憶があります。)と、五合目コースの富士吉田市役所をスタートして、五合目がゴールの15kmの2つの部門がある事がわかりました。

 どうせ参加するなら、山頂コースだと思いました。

 ところが、山頂コースは参加資格のなかに、満19歳以上44歳未満というものがありました、私は3月生まれで、この時まだ18歳でしたから参加できないことが解り、かなり残念な想いをしました。

 よし、それなら、1年間自分なりの練習をして、来年必ず参加するぞと決意しました。

 続く

2013年6月17日月曜日

富士山への道

 富士登山競走、そんな大会が、私の知らないところで毎年7月25日に、山梨県富士吉田市で開催されていたんだと驚きました。                                                                                                    その大会の詳しい参加要項を読みながら、体中が燃える様に熱くなってくるのがわかりました。                                                             これだ、この大会こそが、私が求めていた大会なのだと思いました。                                                                             続く

2013年6月14日金曜日

富士山への道

 まだ、その頃1980年のランナーズには、全国のマラソン大会も今ほど、多くなかった事もあって、限られた個性の強い大会が掲載されていた様に思います。                                                                                 その中で、私の目をくぎ付けにした文面こそが、「日本一苛酷なレース、富士登山競走」でした。


 続く

2013年6月10日月曜日

富士山への道

  高校を卒業して、国鉄の静岡鉄道管理局に就職しました。勤務は朝8時位から、翌朝の8時までの一昼夜勤務でした。                                                                                                         就職しても、マラソン練習は、仕事の合間を見て続けていました、高校の時の経験で努力すれば必ず報われるスポーツだと身をもって知っていたからです。                                                                                   走る事で、とにかく有名に成りたかった、そんな時、本屋さんで見つけた雑誌が、ランナーズでした。                                                                                                                     続く

2013年6月5日水曜日

富士山への道

  マラソン大会が終わり、何日か経った時の事でした、学校のある授業を、受けていた時、その授業の担当の先生が、私に、芹澤は、このあいだあったマラソンに勝って喜んでいる様だが、あの20KMは、実は距離が短かかったんだよと言われた。                                                                    
 この先生は、私が通学ランニングをしていた時に、嫌味を言ってきた人だったので、よほど私が勝ったのが、おもしろくなかったのだろう。                                                                                              しかし、クラスメートの誰一人その先生の言葉に、同調する者はいなかった、それがうれしかった、私も反論はしませんでした、男子みんなが同じ距離を走ったんだから何の問題もないから。                                                              続く

2013年6月2日日曜日

富士山への道

 折り返しの、10KM地点までは、1月20日位の日にちだったので、気合を入れて、ランシャツ、ランパンで走ったところ、少し体が寒かったが、比較的楽に走れました。                                                                              そこから、残り10KMが、長かった、何度かキツイ時が訪れたが、その度、クラスメートの批判を、思い出して、ここで負けたら、今までやってきた努力が無駄になってしまうと、自らを勇気づけて乗り越えました。                                                                                                             走りながら、もしトップでゴールしたら、男泣きしてやろうと、考えていました、やがてその時はやって来ました。                                                                                                               ゴールにいる人達が見えてきたので、最後の力を振り絞り全力でフィニシュ、涙が出てくるはずが、うれしくてニコニコしていました。                                                                                                 今までの全ての努力が報われた瞬間でした。                                                                                           ゴールした後、体調不良で、見学していた、クラスメートの五十嵐君から、芹澤がトップで入ってくるのを見て、涙が出そうになったと聞いて、本当にうれしかったのを思いだします。                                                                      この時の経験がその後の私の人生の大きな宝になっています、必死に努力すれば必ず報われると言う事が。                                                                                                              続く