2012年12月12日水曜日

富士山への道

 何としても、勝ちたかった、勝って文句を言っているクラスメートを見返したかった。

 その為、夜寝る前に、イメージトレーニングをしていた、今で言うメンタルトレーニングです、私が一番にゴールテープをきる姿を何度も頭の中に描いた。

 始めは、思い浮かべるのが難しかったが、繰り返ししている内に、スムーズにいく様になってきました。

 あとは、本番でイメージ通り走るだけでした。

 続く

2012年11月12日月曜日

富士山への道

 問題、それは、数人のクラスメートからの、言葉でした、「雄二は、校則違反をしている、学校には、制服で登校しなければならないのに、ランシャツ、ランパンで来ている。」

 それに、そんな格好で登校するのは、同じクラスメートとして、恥ずかしいと、言ってきたのです。

 私は,ドキッとしましたが、その言葉は無視して、相変わらず通学ランを続けました。

 すると、今度は、雄二の荷物を運んでいる植松君が可哀想じゃあないか、ときた、これにはマイッタ、植松君にはすまない気持ちでいっぱいになりました。

 でも、途中でやめたくなかった、せめてもの救いは担任の山田先生がやめろと言わずに、静かに見守っていてくれた事だった。

 続く

2012年11月6日火曜日

富士山への道

 朝晩の新聞配達をしながら、尚且つ練習量を増やす方法、それは、高校までの片道約6kmの自転車通学をランニングに変える事でした。

 しかし、それを実行する為には、2つ程問題がありました。

 一つ目は学生服で6km走ると汗でぐたぐたになる事、もう一つはカバンをはじめとする荷物でした。

 そこで、その話をクラスメートの植松君にしたところ、雄二が本当にやる気があるなら、学生服と荷物は俺が自転車で運んでやるよと、言ってくれたのです。

 本当に、有り難かったです、こうして私のマラソン優勝の為の通学ランが始まりました。

 朝、新聞を配り終わると朝ごはんを慌てて食べて、植松君との待ち合わせ場所に行き荷物を預け、ランシャツ、ランパンの身軽な格好で、学校目指して走って行きました。

 しかし、暫く続けていくと思わぬ問題が発生したのです。

 続く

2012年11月2日金曜日

更新情報

自伝『私の歩んで来た道』に【社会人編その1】を追記しました。



2012年11月1日木曜日

富士山への道

 全校マラソン1位になる為に、何が今の自分に足りないかを、数日、真剣に考えました。

 4月に出場した、地元の裾野高原マラソンでは、37分33秒で高校10kmの部で5位になってはいたものの、その2倍の距離の20kmを走るのは、途中でバテるんじゃあないかと不安になりました。

 とにかく、練習を全校の男子生徒の誰よりも積まなければ勝てないということだけは、解っていました。

 朝晩の新聞配達もなるべく自転車を使わずに、新聞を10部位小脇に抱えて、配り終わったら、自転車の所にダッシュして戻り、自転車を移動しての繰り返しをしていました。

 この成果で、数年かかりましたがクラスで一番、持久走が速くなっていました、正に継続は力なりでした。

 続く




2012年10月31日水曜日

富士山への道

 2年連続で、それも、かなり苦労して富士山頂に登った事は、私にとって大きな自信と経験を残しました。

 高3の2学期が、始まってしばらくした時、担任の山田先生から、全校マラソンが1月に行われると言う事を聞きました。

 男子は20Km、女子は10km、場所は沼津市の千本浜海岸との事でした。

 高1と高2の時は、学校の周辺は車が多いため、校内マラソンはやっていませんでしたので、その話を聞いたとき、驚いたのと同時に1番を狙ってみたいと思いました。

 山田先生にも、クラスで持久走が、1番速いのだから、芹澤、優勝目指してがんばってみろ、記念に、大きなメダルがもらえるぞとハッパをかけられました。

 続く

2012年10月23日火曜日

富士山への道

 それは、突然の雨と風でした、雨ガッパを着ているのに、とにかく寒い、両手はかじかんでくるし、体は震えてくるしで、天に向かって「こんちくしょう」って叫びたくなりました。

 やっとの思いで、山頂に着いたのですが、あまりの寒さで用をたしたくなり、山頂のトイレに駆け込みました、用をたしたら、体がガタガタ震えてきて、なかなか外に出れないのです。

 もう測候所に、行くのは、諦めて下山しようと思う弱い自分と、いやもう少し我慢して測候所に行き山頂印を押して、登った証拠を残そうと思う強い自分の心の闘いがしばらく続いた後、意を決して、測候所目指して、思いっきり走りました。

 なんとか、測候所に辿り着き職員さんに中に入れてもらった時は、本当に助かったと思いました。

 ところが、去年と同じように暖かいお茶とお菓子をご馳走になったのですが、体の震えが、なかなか治まらなかったのです。

 これは、早く下山しないと、命が危ないと思い、職員さんにお礼を言って、慌てて下山しました。

 五合目に着くと雨は降っていませんでした、富士山では、よく山頂付近だけ天気が悪い事があります、まさにそんな日でした。

 

2012年10月20日土曜日

富士山への道

 16歳で、初めて富士山登頂を果たしたことは、本当に大きな自信になりました。

 そして、翌年の夏にまた、富士登山に挑戦しました、新聞配達を朝と晩していた為、登る日は、夕刊が休みの日曜日に限られていました。

 親父さんに五合目まで、車に乗せて行ってもらうのですが、夏の高校野球を見るのが大好きな親父さんが動き始めるのは、昼過ぎなので、やはり五合目に着くと2時半位になります。

 去年、山頂付近で、急激な寒さを感じたのを、覚えていましたので、またランシャツ、ランパンで登り始めたのですが、リュックの中に五合目で買ったビニールのカッパを入れて行きました。

 案の定、八合目を過ぎた辺りから、体温の低下を感じてきたので、早々とカッパを着て、登り続けました。

 すると、また新たな試練がやってきたのです。

 続く



 

2012年10月19日金曜日

富士山への道

 次の試練、それは寒さでした、富士山をなめきっていた私は、ランシャツ、ランパン姿で登っていました。

 山頂に近づくにつれて、100m標高が上がると気温は0.6度下がると云われています、体力がおちてきて、体から発する熱も下がっていたと思います。

 そのため、9合目から頂上まで、体が震えるほど、寒かった、やっとの思いで、山頂に着いたとき、少しほっとしましたが、そこから、測候所までの上りが、本当に長く感じました。

 死ぬ思いで、測候所に着くと、ガタガタ体が震えている私を見た職員の方が、暖かいお茶と、お菓子をくれました。

 体が、暖まり少し体力が回復してきました、しっかり、日の丸の旗に3776mの測候所印を、頂き、お礼を言ってから、一目散に五合目を目指して走って行きました。

 測候所を、出てしばらくは、やはり寒かったのですが、下って行くうちに、気温が上がってくるので何とか五合目に辿り着きました。

 五合目に着いた時には、もう薄暗かったです、登り始めた時間が午後2時半位だからしょうがないです、親父を見つけて、日の丸の山頂印を見せたたら、一言「おせぇじゃねぇか」

 続く



2012年10月18日木曜日

富士山への道

 五合目を出発して、僅かな食料と水を持って、途中の山小屋にも、ほとんど寄らずに六合目、七合目、八合目と登って行きました。

 山頂まで、必ず登り、剣が峰にある富士山測候所で、金剛杖に付いている日の丸の旗に、印をもらい、それが、山頂まで登った証拠として、親父や高校のクラスメートに見せるのだ。

 自信は、あった、その支えは、中学2年から続けてきた新聞配達で鍛えた体力と気力だった。

 しかし、富士山はそんなに甘くはなかった、八合目を過ぎた辺りから、両手がむくんできたり、息苦しくなってきたりし始めました、軽い高山病です。

 みるみる登るペースが落ちたのが、自分でもわかりました、しかし体力はなくなってきたけど、気力だけは、まだまだ十分あった。

 山頂に近づくと、次の試練がやってきた。

 続く

2012年10月17日水曜日

富士山への道

 1978年の夏、富士山、富士宮口登山道を、金剛杖を片手に持ち、必死の形相で登っていく、高2の私がいます、五合目には、親父が、私の戻ってくるのを待っています、「早く登って来ないと、車で、先に帰るからな、」

 冗談を余り言わない親父でしたから、その一言を聞いた私は、山頂目指して、もうスピードで走って行きました。

 途中、ゆっくり登山道を登って行く登山客を、何人追い抜いただろうか、稀に抜かれた登山客が私に向けて、「富士登山マラソンの練習か?」と声をかけてきました。

 富士登山マラソン?何のことだ、それより早く登って降りて来ないと、あの親父がいつ、私をおいて、家に帰ってしまうかも知れない、だから必死の形相なんです。

 続く

2012年10月10日水曜日

ヒグラシ

 こんばんは、芹澤です、

 今日、仕事で、防府市の小野地区に行ったとき、午後6時前位に小高い山の林から、ヒグラシの鳴く声が聞こえてきて、少し驚きました。

 鳴き声も、心なしか弱弱しく感じました、季節はずれに、羽化した彼は、果たしてメスに巡り合う事ができるのか、ちょっと心配しました。

 がんばれ、ヒグラシ

 続く

 

2012年10月9日火曜日

赤富士

 こんにちは、芹澤です

 今日は、赤富士について書こうと思います。

 赤富士と言えば、葛飾北斎の描いた絵が有名ですが、初めてあの絵を見た時、富士山が、こんなに赤くなるわけないと、思っていました。

 しかし、ある時、富士山を専門に撮影しているプロやアマチュアのカメラマンの写真を見た時、本当に、真っ赤な富士山が写っていて、びっくりしたのを覚えています。

 それから、私が自ら赤富士をカメラに収めようと、静岡県裾野市の実家に帰った時、何回か、挑戦しているのですが、なかなか満足のいくものは、まだ撮れていません。

 続く

2012年10月3日水曜日

オリンピック男子マラソン

 こんばんは、芹澤です、

 今日は、オリンピックの男子マラソンについて私の考えを、語ります。

 この夏、ロンドン五輪がありましたが、今回も男子のマラソン金メダルは日本は取れませんでした、やはり、アフリカの選手が強かった、スピードが、全く違っていました、日本選手は、中本選手が粘って、最初とばしていて落ちて来た選手を抜いていって6位に入りましたが、金メダルには、ほど遠かった。

 金メダルのウガンダの選手は、何度かトップから遅れたが、粘ってついにケニアの二人の選手を抜いて、栄冠を勝ち取りました、彼はケニアの選手と一緒に練習を積んでいたと、テレビを見ていたら、アナウンサーが言っていたのを聴いて、これだと思った。

 ウガンダの選手は今年の東京マラソンで藤原新選手に最後競り負けて3位になっています、それから彼はオリンピックに照準を合わせてケニアに武者修行に行ったのです、ケニアには世界最強の選手がいるからです。

 もし、日本の選手が世界最強のケニア選手と一緒に練習し、彼らのハングリー精神まで、身につけたなら、必ず、金メダルが取れると思います。

 続く



2012年10月2日火曜日

富士山の絵画

 こんばんは、芹澤です、

 私は、富士山が大好きなので、富士山の絵画についても、見るのが好きです。

 例えば、横山大観の描いた富士山や葛飾北斎の描いた富士山は、凄く心惹かれるものがあります。

 本物の富士山とは、明らかに違うんだけど、でもやっぱり富士山なんですよね。

 続く

2012年10月1日月曜日

富士山登山道

 こんばんは、芹澤です

 さて、今日は富士山の登山道について、語ろうと思います。

 静岡県側には富士宮口登山道、御殿場口登山道、須走口登山道があり、山梨県側には富士吉田口登山道、河口湖口登山道があります。

  私は、全ての登山道から、山頂まで登りましたが、一番好きな登山道は?

 富士吉田口登山道です、特に好きな部分が馬返しから、三合目辺りまでです。

 ここを、登っていると、かなり大きな木が登山道の左右にあるため、鳥がたくさん住んでいて、その、鳥たちの、さえずりを聴くと登りの苦しさを忘れて、何とも幸せな気分になるからです。

 続く

2012年9月28日金曜日

富士山のパワー

こんばんは、芹澤です。

今日は、富士山のパワーについて話したいと思います。

ほとんどの人が、富士山の写真や絵を見ると、元気がもらえると思います。
 
何故でしょうか?

日本一高い山というイメージもあるでしょう。
独立峰というのもあるでしょう。
しかし、私は、一番は、その形にあると思います。

これだけどこから見てもバランスのとれた山は、世界を探してもないんじゃあないかと思います。

写真や絵でパワーをもらえるのだから、本物を見たら、その何倍ももらえますよ。きっと。


 続く

 

2012年9月27日木曜日

富士登山競走のモチベーション

 こんばんは、芹澤です。

富士登山競走で好成績をおさめていた時、モチベーションを保つために、色々な試みをしてました。

例えば、音楽では、ザスクェアのアドベンチャーのエピローグや、オーメンズオブラブはよく聴いてました。

この音楽を練習の前に聴くと、不思議とやる気や元気が出て来ました。今も時々聴くと、やはり、いい曲だなと思います。


続く



2012年9月25日火曜日

富士山の夜

 こんばんは、芹澤です。

 今日は、富士山でしか見られない夜の話です。

八合目の山小屋に、何度か泊まった時、もちろん雲があまりなく、天気のいい日じゃあないと駄目ですが、天空を見上げると、平地では、考えられない程の、沢山の星が見えます。

しばらく眺めていると、数分の内に、流れ星が見られるのも、びっくりでした、また下界に目を向けると、八月の第一土曜日であれば、花火大会をやっている市町村も多く、それこそ、線香花火の様な大きさの打ち上げ花火があちこちで上がっているのが、見えましたよ。

 では、また



2012年9月24日月曜日

高齢者の富士登山

 こんばんは、芹澤です。

 さて、今日は、私が実際に見た年配の方の富士登山について、書こうと思います。

もう20数年前の話ですが、70歳過ぎの片足の不自由なおじいさんが、富士登山ツアーで奥さんと一緒にやって来ました。

その時私は山小屋でアルバイトをしていて、その夫婦を含めた団体客を自分の働いている、山小屋まで連れていくのが、仕事でした。

二人とも年配ですし、おじいさんは足が悪く、おばあさんのほうは心臓が少し悪かったので、二人は他の団体客より、かなり遅れて、やっとこ山小屋に到着しました。

私もおばあさんをおぶったり、おじいさんを励ましました、おじいさんは足を引きずりながら、金剛杖をつき、「六根清浄、六根清浄」と唱えながら登っていたのが印象に残っています。

初めて富士山に来て、もう来ることは出来ないだろうから絶対、山頂を極めたいと言っていました。

おばあさんの方は山小屋でリタイア、おじいさんの方は、時間はかかりましたが、山頂まで登ったのです、それを見て、人間、真剣に取り組めば、何でもできるという事を教えてもらいました。

 それでは、また



2012年9月23日日曜日

富士山とエベレスト

 こんにちは、芹澤です。

 富士山は日本で一番高い山、何度か頂上に登った人であれば、いつか、世界最高峰のエベレストにも登ってみたいなと思った人は多いと思う。

私もその一人です、しかし、時々、テレビでやる、エベレスト登山の過酷さや、費用の事を考えると、ほとんどの人が夢で終わってしまうのが、現実です、ただ死ぬ前にせめてこの目でエベレストをまじかに見てみたいと思います。

そう考えると80歳でエベレストの3度目の登頂を目指している、三浦雄一郎さんや、日本人初の8千m峰14座を登った、竹内さんは、本当に凄い人達だと思います。

 では、また


2012年9月22日土曜日

オリンピック男子マラソン

 こんにちは、芹澤です。

 今日は、オリンピック男子マラソンについて、書こうと思います。

私がまともに、テレビで、見始めたのは、ロサンゼルス五輪から、当時、世界最強のマラソン選手と云われていた瀬古さんが参加していて、私も彼のファンだったので、金メダルとるのを楽しみにしてました。

ところが瀬古さんは、調整に失敗して14位、宗猛さんが4位でした。

金メダルは、ポルトガルのカルロス・ロペス選手でした、クロスカントリーとトラックで鍛えた、ぶあつい胸板が印象的でした、年齢も37歳、翌年の世界クロカンでも3度目の優勝、とにかく走る姿がとても、力強くきれいな人でした。

ある雑誌を読んだとき、彼がとても苦労して強くなったのを知り、それから尊敬する様になりました。

 それでは、また




富士登山を甘くみてはいけない話

 こんばんは、芹澤です。
 
 私は、今までに富士山頂に200回以上は登っているのではないかと、思います、その間に、何度か、死にそうな恐ろしさを感じたことがあります。

 ご存知のとおり、山の気温は100m登ると0.6度、低くなると言われています。

例えば富士吉田市の中の茶屋から(標高1100m)山頂目指して登った場合、ここでの気温が27度だとすると、そこそこ暑いのでTシャツとランパンで走って行きます。

すると山頂では、標高差が約2600mあるので、15.6度気温が低くなります。

そうすると山頂の気温は11.4度、山の天気は変わり易く雨が突然、降ってくる事がよくあり、おまけに風もあるので、そのような事になったら、低体温症になってしまい、体がガタガタ震えてきて動けなくなります。

そんな時が何回かありました、その時は慌てて下山しました、下に降りていけば気温も上がってくるので、それで助かりました、それからは天気がよく、山頂がはっきり見えていても登って往くうちに急変することがあるので、最低限の雨具か防寒具を持って登る様になりました。


 それでは、おやすみなさい。

 

2012年9月20日木曜日

富士山山小屋八合目トモエ館

 毎年、富士登山競走で、お世話になっているのが、富士吉田登山道の八合目にあるトモエ館です、私が1987年富士登山競走で2連覇を狙って、練習している時、出会ったのが、トモエ館の支配人の望月さんでした、あれから、もう25年もよくして頂いています。


私の結婚式の仲人までしてくれた望月さん夫婦には、頭が上がりません、この場を借りてお礼をいいます。


 望月さん、いつも気にして頂きありがとうございます。



 それでは、また




更新情報

自伝『私の歩んで来た道』に【高校時代】を追記しました。


2012年9月19日水曜日

富士登山競走について

 私が、富士登山競走に初めて出場したのは19歳の時でした。

 当時、富士山頂まで駆け登る山頂コースは、満19歳以上でないと出場できなかったからです、あれから、32年連続で出させて頂いています。時々なぜ、ここまでこだわってきたのか、自分でも思う事があります。

 それは、多分富士山が日本一高い山だからだと思います、だからこそ、挑戦する価値がある、いつまで出場できるかわからないですが、とにかく出れる限り、頑張りたい です。


 ではまた



2012年9月18日火曜日

静岡県からの富士と山梨県からの富士

 こんばんは、芹澤です。

 以前、テレビ番組の矛盾を見ていたら、静岡県から見た富士山と山梨県から見た富士山と、どちらが美しいかと云うのをやっていて、用意した写真を5枚づつ出して芸術家に選ばせていたけど私が想うに、富士山にとったら、いい迷惑だと想う、どこから見てもやはり富士山は美しい、特に天気のいい日の富士山は最高です。

それでは、また


   

2012年9月17日月曜日

富士登山駅伝について

おはようございます、芹澤です。
         
 今朝から、台風16号の影響で非常に風が強いので、外出は注意が、必要ですね。
 
 この夏の、8月5日(日)に10数年振りに、富士登山駅伝に出場しました、やはり駅伝は一人で走る、富士登山競走と違い、かなり 緊張しました、走った区間は4区の登りと、8区の下りで、4区では順位を上げることが出来ましたが、8区の下りでは、順位はそのままでしたが、後ろにいたチームにかなり追い上げられて、焦りました。 

2012年9月16日日曜日

YouTubeの動画を発見!!!

今年の駅伝の動画を発見!!!



年齢と共のかなり力は落ちてきてますが・・・富士山を大好きな気持は年々大きくなるばかりです!!!

出来れば、是非また来年も参加したいと思います。




更新情報

自伝に【小中学校時代】を追記しました。




夏山シーズンの終わった富士山

こんにちは、芹澤です。 
 
 さて、富士山の夏山登山シーズンも終わって、富士登山道も、だいぶ静けさを取り戻しているのではないかと思います。
 地元に住んでいた20年前、私はよくこの時期にも富士山に走りに行ってました、登る人が少ない分、何か富士山にすごく近づけている様な感覚がありました。
 また夏シーズンでは、まず会うことのない、カモシカや、サルに遭遇する事も、ありました。ただ、残念だったのが、富士山麓にいると云われるツキノワグマには一度も会ったことがありませんでした。
 
それでは、また

2012年9月15日土曜日

敬老の日に思う事

おはよう、ございます。芹澤雄二です。

今朝夜中の、午前2時半位から、自宅近くに落ちた雷の音で、目が覚めました、10回以上はあったので、慌ててテレビ等の電気製品のコンセントを抜きました。数年前までは、9月15日が敬老の日でしたよね。
この日で思い出すのが、私がバリバリ、マラソンを走れていた時、島根県の玉造毎日マラソンによく出場していました。
この大会で優勝するのが、夢でしたが、最高順位は5位でした、とにかくこの大会のフルマラソンは、残暑が厳しかった、だからこそ、勝ちたかった、歴代の優勝者にオリンピックメダリストの君原さんや、ボストンマラソン優勝の采谷さん等が名を連ねていたのも、魅力のひとつでした。
今は日にちも変わり、距離もフルマラソンがなくなったのが少々残念です。

それでは、また明日

2012年9月14日金曜日

初めまして芹澤雄二です

 Bloggerに出会えて、ブログを始めてみようと思いました。
これから、少しずつですが富士山のことや走る素晴らしさを伝えて行こうと考えています。